2011年12月10日
足腰も疲れているし今日一日は休養日として、宮島・市内観光をする。
果たして休養日になるかどうか、まずは朝から念願の宮島観光、そして広島市内観光、広島城・絶景園・原爆ドーム、資料館・平和公園へ行く。二回目だったが、胸が締め付けられるような苦しく悲しい思いを改めて見ました。いま世界中で戦争が起こっていますがどうしてみんな平和な世の中にならないのだろう。
今晩は昨夜と同じ広島グランドインテリジェントホテルに宿泊。
宮島では昼食を少しはりこんでご褒美に名物の穴子定食を食べました。そして乗船場近くで生牡蠣を宅急便で自宅に送ってもらった。また夜はホテル近くで名物のお好み焼きを食べた大変美味しかった。私の精一杯の贅沢な一日でした。
朝いつもより少しゆっくり目にホテルでモーニングを食べて電車で宮島へ。連絡船より宮島の厳島神社を見る

平家の栄華・盛衰を世に見せつけた華麗な厳島神社、また毛利元就に滅ばされた陶晴賢との厳島合戦跡の地宮島桟橋を降りてすぐ東側に進むと 要害山が宮尾城址 があります

有之浦の海岸通りを進むと 石の大鳥居 に出ました

二位の尼燈籠からの宮島のシンボルである、厳島神社の 朱塗りの大鳥居


厳島神社の全景(国宝)

平安朝末期、平清盛以来今に伝わる 高舞台での舞楽 沢山の観光客が見入っています



能舞台(重文)


反橋(重文)
勅使橋ともいい、現在の橋は弘治三年(1557)毛利元就・隆元父子によって再建されました

廻廊出口の右手に見える 山門・本堂・九本松
真言宗亀居山放光院大願寺 かつては塔の岡の山麓にあり、五重塔や大経堂(千畳閣)などとともに一大伽藍を形成していたという

大願寺の山門 元禄年間(1688~1704)の創建と伝っています

宝物館(重文)と多宝塔(登録有形文化財)多宝塔の創建は大永三年(1523)




廿日市の遠望

清盛神社 没後770年を期に功績を讃え昭和29年創建


五重塔(重文)と千畳閣(重文)
五重塔は応永十四年(1407)創建、千畳閣は秀吉が天正十五年(1587)発願し、安国寺恵瓊が着手したが未完成

塔の岡


千畳閣


塔の岡から町屋方向を見る

宮島桟橋方向を見る


めったにない記念写真


もう一度終わりに眺める

表参道を通り桟橋へ専門店で結構いい値段でしたが穴子定食を昼過ぎに食べました

宮島桟橋の船乗り場 まだまだ見たいところがありますがとても時間が足りない。ゆっくり見ようと思えば宮島で一泊するのがいいかも。

宮島を後に、宮島口に戻り生牡蠣を買って送り、再び広島市街地に戻りました
世界恒久平和を願い、平成八年(1996)世界遺産に登録された「原爆ドーム」と平和記念公園へ



小さいときに見た映画の中で、沢山の子供たちが先生に引率されて水を求めて川で亡くなった描写が強烈に蘇りました

千羽鶴に囲まれた 原爆の子の像

正面の 平和記念資料館


「安らかに眠って下さい、過ちは繰返しませぬから」の碑文が刻まれた 原爆死没者慰霊碑


館内に入りましたがやはり目視できない悲しい

旧太田川と原爆ドーム

広島城跡 復元された平櫓と多聞櫓


御門橋と二の丸表御門

再建 天守閣

天主閣よりの市街地






天守閣

広島城より西に移動して 縮景園へ、広島藩主浅野長晟が元和六年(1620)より別邸として使われた。昭和15年浅野家より広島県に寄付されたが、昭和20年の原爆により壊滅状態となった。その後景観に復すべき整備を進めました




縮景園を象徴する橋






















縮景園正面

まだまだ行きたいところがありますが、歩いてまわるには限りがありこの辺で終わります。休養日ですが一日中歩き回ったので休養日にはなりませんでした。どちらかといえばじっとしているのが嫌な方だから。ホテルに戻る前に広島のお好み村で夕食を食べました、ことのほかおいしかった。
1日の休養日終わります


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